命を知る。
諦めか、それとも、はじまりか?
東洋思想の代表的な言葉に「命(メイ)」というものがあります。
(今日はちょっと深いかぁ〜笑)
生まれた意味や、この世でなすべき使命や、人生の本質(道)という意味です。
覚え方としては、
天から「これをこの世で成し遂げなさい」という「命令」が「命(メイ)」であり、
それが肉体に宿ると「命(いのち)」になる。
その「命(いのち)」を活かすとは、
与えられた使命である「命(メイ)」を実行していくことである。
東洋思想の中ではそんな考えがあるんですねぇ🤗
さて、「い き る」ことと「い る」ことの違いは間に( き )があるかないか。
気があると人は生きていて、無きものはただそこに居るだけ。気があり、居ることから生きることに移行出来て初めて人は人物となる様に感じます。
人物になるには、ひとつ大切なことに、「命(メイ)を知る」ということがあります。
己の気を知り、気を入れるということ。
そしてこれには、
消極と積極の2つがあります。
まず消極とは、
ある程度の年齢や経験を経てくると、
「もう自分はこれだけの人間だ」と諦めてしまうことです。
50歳くらいになり、大なり小なり、高かれ低かれ…
こんなものなのではないかと、自己を掴む。
そして、消極的に諦める。
「じたばたしても仕方がない。自分はこんなもんだ。」と、その瞬間に己が固定される。変化がきかなくなるんです。
消極的に諦めると、今度は始まるのが「過去に意味をもたせる」ことです。
「おれの過去もまんざらじゃなかった」と自分をなんとか慰めたくなるのです。
ところが、東洋思想の中では「命(メイ)」とは、ある程度明らかになっていて…
それは一言でいうと「造化」です。
造化とは、植物が絶え間なく、種から芽を出し成長し、花を咲かせ、実らせ、枯れて、次の種を大地に蒔くということ。
この一連の「生み出しつづけ、変わり続ける」というプロセスのことです。
つまり、すべての人に与えられた「命(メイ)」とは、今あるところから「変わり続けなさい」というものなのです。
50歳になったら、50歳になっただけの変化をする。
49年の失敗を知り、50歳の変化を起こす。
これが「命を知る」ことの積極的な姿勢なのかと46年生きてきたなかで思います。
生きている限り、
新たな変化を起こそうとする。
それが東洋思想が教える「道」の本質なのではないか。
「もう自分はこんな人間なんだ」と諦めて自己をつかむことに偉さは存在しない。
今までの自分の非を受け止めて、
今から新たに変わろうとすること。
それが命を知るということ。
日々新たに。
(松下幸之助氏が掲げていた東洋思想の言葉)
認可も取れ、
そう強く思い、
また新たなチャレンジが始まる!
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