私自身、若い頃はわがままで、自分の感情をストレートに表に出す人間でした。今でもまだありますが…💦
何でも一番でなければ気がすまず、思うようにならないときは相手に怒りをぶつけていました。
それが、強さだと思っていた。
しかし、この詩が私に気づきを与えてくれました。
『もし あなたが誰かに期待した
ほほえみが得られなかったら
不愉快になる代わりに あなたの方から
ほほえみかけてごらんなさい
実際 ほほえみを忘れた その人ほど
あなたからの それを
必要としている人はいないのだから』
怒りたい衝動を抑え、相手の気持ちを思いやり、許し、さらに一歩進んで相手にほほえみかける優しさ。
それはまぎれもなく強さのなかから生まれた優しさかと思う。
それまでの私の強さは、不機嫌を言葉や態度で示し、仕返しすることによって表現されていました。
さらに、こう語ります。
『私たちの生き方が、そのまま死につながる保証はまったくありません。
生涯を弱者救済にあてられた立派な方が、惨めな最期を遂げた例もあります。
キリストもよいことしかしていないのに、弟子に裏切られ、群衆の罵詈雑言を浴びながら、十字架にはりつけになって無残な死を遂げています。
どのような生き方をしようが、どんな死に方をするかはわからないのだから、「いい加減」に生きるのも一理ある考えです。
そして、わからないからこそ、「ていねい」に生きるというのも一理ある考え方です。』
私は、後者を選ぼうと思います。
では、ていねいに生きるとは?
日頃のささいな行動の積み重ねで、人格が決まってくる。
ほんとうの強さとは、自我を殺す勇気。
観てみてください。
輝いている人ほど胸のうちは傷だらけですから。
その様に感じます。
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