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「ワシャアしょうもない男でしてなあ」
走り出すと同時にタクシーの運転手が語りかけてきました。
「稼いだ金は全部マージャンなどの遊びに使ってしまい、一銭も家には入れない。
女房は一言も文句をいわずに『お父さんの稼いだお金だから、ご自由にお使いください』といい、子供は女房が一生懸命働いて、立派に教育してくれました。
女房は器量が悪いので、どこかへ行くときは『うしろから離れてついてこい』などといって、ひどい亭主でした。
自分で稼いだ金だけでは足りなくて、女房に『借せろ(名古屋弁で「借せ」の意)』とまでいいましてね。
あるとき、女房に『金を借せろ』といいました。
女房が『まあ、お父さん、お茶でも飲みましょう』といってパイナップルの缶詰を持ち出してきたのです。
“金を借せろというのに何がお茶だ”と思っていました。
女房が缶詰をあけたら、中に百円玉や五百円玉がいっぱい詰まっていましてね。
『お父さん、少しずつ少しずつ貯金したものです。今これっきりないですが、よかったらこれ使ってください』というんです。
私は頭をぶんなぐられる思いがしましてね。
すまなかった!とほんとうにあやまりました。
それから私の人生観は百八十度変わりました。
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人は年下や後輩、子供に何か注意されたり、
意見されると、なかなかそれを聞き入れることができない。
聞き入れられないどころが、カッとなって孫を殺してしまった年寄りもいた。
道元禅師のおっしゃる通り、「道理にかなったことならば、相手が誰であろうとそれにしたがうこと」が大切だ。
年をとったら丸くなるのではなく、むしろ我慢ができなくなったり、自分の本来の姿や、欠点が出てきてしまう人が多い。
そういう人は、行動範囲が狭くなったり、新たな知識のインプットもなくなり、好奇心もなくなっていく。
結果として、人間関係も狭まり、生活もマンネリとなって、許容範囲が狭くなるからだ。
そして、若者の行動や価値観を許容できなくなる。
反対に、いつまでも若者たちと一緒に飲んだり、騒いだりできる人は、常に新しい知識をインプットしたり、新しいことに好奇心旺盛だ。
そして、そのことで自分の許容範囲を広げている。
すると、いくつになっても、新たな人間関係が広がってくる。
人間関係を円滑に行うための大事な要素が、
愛語だ。
愛語があれば、老若男女、上下わけへだてなく、親しく付き合うことができる。
「ていねいな言葉」「あたたかい言葉」
「やさしい言葉」「思いやりに満ちた言葉」
そんな『愛語の達人』になりたいです。
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