本気で人を導こうと思ったら、相手を変えようとするんじゃなくて、まず自分が『幸せ』になることです。
自分が幸せになって、
自分が“光”となる。
“光”とはなんですか?
その人がどう生きているか、っていう
「生き方」の明るさではないでしょうか。
自分も、こういうふうに生きたい!
私も、こういう人間になりたい!
こんなふうに考えたい!
そういう様に思われるような生き方が“光”だと思います。
たとえば、同じ茨城を旅するにしても…
目的地を袋田の滝にしたとしても、車で行く人もいる、タクシーを使っていく人もいる、自転車で行くことだってできます。
それから、ひとり旅で旅行する人もいるし、仲間とワイワイ行く旅もある。
そこでどんな人と巡り会うか。
その瞬間ごと、どんな瞬間に感動するのか。
みんな、ひとりひとり、違うんです。
人それぞれ、10人10色。
人生もそれと同じ。
ひとりひとり旅路が違う。
違うというか…
それぞれ、自分が主役なんです。
自分がもっと今以上に幸せに豊かになるような、旅のプランを立てて旅に出ることが大事かと思います。
いろんな人と知り会って、いろんな経験をし、自分が何者であるか、ということに気づいたり…
そしていろいろ学ぶんです。
すると、夢もわいてくる。
希望もわいてくる。
そして人生が輝いてくるんです。
人は人生の旅路を歩いて「経験」という宝を得ます。宝とは、金財のことではないんです。何を経験し、そこから何を学ぶのかです。
「このとき、どうしたらいいんですか?」
って、ひとつの答えを求める人がいる。
「これしか答えがない」
という思い込みが、自分自身を苦しめる。
正解を求めるのではなく…
正しさと豊かさは一緒ではなく…
正解を求めても豊かにはなれないんです。
人生は経験をするためのもの。
そのために生まれてきているんだから、経験する事をお勧めします。
そんな貴方の生きざまが、
やがて必ず周りを照らす“光”になるんです。
この“光”を周りの人たちに投げかけると、相手は変わるんです。
この行為を導くといいます。
相手を照らすんじゃないんです。
自分を照らすんです。
そして照らしているのも自分なんです。
だから、相手を変えようとする努力とかは必要ないんです。
結局のところ…
人は説得したり、説教したり、怒ったりして、自分と違う意見の相手を変えようとする。
しかしながら、そんなことでは人を変えることはできない。
変わるのは、その人が自ら決めて、自ら行動を起こしたときだけです。
であるならば、自分が相手に求める在り方に、自分がなればいい。
「自分が明るくなればいい」
「ステキの見本になればいい」
「ステキの見本」を見れば、自分もステキになりたいと人は思う。
そして、それぞれが、それぞれのやり方でそこに近づけばいい。
100人いれば100通りの生き方ややり方があるんです。
人生にはたった一つの正解なんかない。
正しさを求めても何一つ豊かにはなれない。
本気で人を導こうと思うのであれば、
またそのような立場にいて、その必要があるのであれば…
相手の存在など全てを視界から外し、
“自分が光になればいい”
その様に感じます。
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