日本はすでに成熟社会に移行して久しいというのに、それを現実のものとして理解している人はとても少ないかと思います。
20世紀型の成長社会が象徴する「みんな一緒」という時代から、21世紀型の成熟社会が象徴する「それぞれ一人一人」という時代に社会は変わっています。
これは電話の変遷を考えると、わかりやすいです。
かつて、電話は一家に1台置かれた状態が常識だと考えられていました。
電話機自体の進化とともに親機を中心に子機が増えていきましたが、電話回線が一家に1本という「みんな一緒」の固定電話であることに変わりはなかったです。
ところが、バブル崩壊とともに大きく変化が起こりました。
1993年に1.4パーセントだった携帯電話の普及率は、1998年には25パーセントにまで急上昇しました。
その後に見せた急速なガラケーの普及は、そしてスマホへの急速な移行はみなさんが実際に体験したとおりでしょう。
僕も初めて携帯電話を所有したのは、22歳頃でした。
「みんな一緒」の固定電話から、「それぞれ一人一人」の携帯電話になってきたことが、時代の変化を如実に表しています。
「みんな一緒」の時代には、日本人にはパターン化した幸福論がありました。
日本人が共通の正解として持っていた「みんな一緒」の幸福論です。
お父さんやお母さんや先生の言うことを素直に聞いて、「早く」「ちゃんと」正解にたどりつける「いい子」にしていると、「よい高校」や「よい大学」に入ることができる。
「よい大学」に入ることさえできれば、上場企業や有名企業などといったいわゆる「よい会社」に入れたり、安定した公務員になったりすることができた。
そこにどうにか潜り込むことが出来さえすれば、少なくとも課長くらいにはなれて、それなりの金額の年収を手にすることができた。
よほど大きな問題さえ起こさなければ、定年まで勤め上げることができる。
そうすると、まとまった金額の退職金を手にすることが可能だ。
これが、20世紀型の成長社会における典型的な日本人としての幸福論だった。
こうした「共同幻想」を、みんなが一緒になって追い求めていた時代なのです。
しかしながら、成長社会から成熟社会になると、ただやみくもに頑張っているだけでは「みんな一緒」の幸せをつかむことはできなくなりました。
成熟社会では、「それぞれ一人一人」が自分自身で、世の中の流れと自らの人生とを鑑みながら、自分だけの幸福論を決めていかなければならない。
それぞれ一人一人が自分自身の幸福論を編集し、自分オリジナルの幸福論を持たなければならない時代に突入したのです。
「それぞれ一人一人」の幸福をつかむための軸となる教養は、自分で獲得しなければならない。
現代は変化が激しく、先の見えない時代です。
「今まで通り」というような前例踏襲では、何人もこの時代を乗り切ることはできない。
お手本のない時代。
自分の頭で考え、自ら解を求めていかなければならないのです。
だからこそ幸福たる教養を身につけ、磨く必要がある。
その様に感じます。
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