世の中には、2つの肩書きがあります。
「Doの肩書き」・・
多くの場合は、社会が決める。
外向きにあなたがすることに基づいている。
「Beの肩書き」・・
Doの肩書きよりも、もっとずっと内向きなもの。あなたが自分のことをどんな存在だと思っているのか。
「Doの肩書き」は、何をしていますか?
と、聞かれたときに答えるものです。
たとえば、
「○○企業 ○課 係長」という肩書き。
どこそこの企業で、〜をしています。
という「Do(行為)」で答えます。
これは自分が勝手に名乗るものではなく、
(勝手に名乗ったら大変です!)
契約書にサインして、与えられるものです。
そこに関係者がいて、仕事が発生しているという意味では、「社会から与えられた役割」でもあります。
社会がどんどん変化する時代では、
3〜5年もすれば、「Doの肩書き」は変わり続けます。
(もしかしたら10年後にはその肩書きは存在していないかもしれませんね!)
そして、肩書きには、「〜をしている」という「Doの肩書き」だけではなく、
「私は〜である」という「Beの肩書き」もあります。
私はどんな存在なのか?
それが「Beの肩書き」です。
それはとてもあいまいで、あやふやなものです。簡単に言葉にできないものです。
でも覚えておいて欲しいのは、
簡単に言葉にできないということは、
それだけリッチだということ。
リッチとは、可能性に溢れ、豊かであり、
なんでもありだということ。
シンプルに言うと、私たちは日頃、
「どんな存在」で、
「何をするのか」ということを生きています。
「Beの肩書き」と「Doの肩書き」の掛け算です。
世の中の人が職を失ったときに、
自分を見失ってしまうのは、
「自分=Doの肩書き」だと思っているからです。
Beの肩書き=あなたがどんな存在なのか?
です。
Beとして、稼げるかどうかはどっちでもいいんです。ただあなたが自分をどんな存在として認めるのか?です。
それが「Beの肩書き」です!
「Beの肩書き」と「Doの肩書き」の組み合わせが、個性そのものの様に感じます。
これからの変化する時代の中では、
「どんな存在(Be)」で「なにをするか(Do)」の組み合わせが大切になるかと。
「本当は何者(be)なのか」は存在しない。
「何者」にでもなっていいんです!!
その様に思います。
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