「努力」の反対語

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森 日和  (もり ひより) さん
禮(いや)のこと教室 主宰 / 礼法講師 / 和美作美道 主宰講師

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今年の新しい試みとして、日和さんとNPO法人いきざま主催での中学校課外授業を実施していきます。


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▼ 「努力」という言葉があります。
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日本人らしい美徳を感じられる言葉です。
僕はこの「努力」という言葉について、
ひとつの見解があります。
 
「努力」という言葉は見方を変えると、「己の能力しか信じない」という一面があるのではないでしょうか。
 
もしあなたが、「己の人生をつくっているのは、自分の能力だ」と断言するのだとしたら、それは自惚れ、驕り、高ぶり、傲慢ではないのかと。
 
その「努力」とは「不満な自分」を穴埋めする「エゴイズム」のことです。
 
 
はたして人は、「努力」するために生まれてきたのでしょうか。
 
僕はそうは思いません。
 
どうやら、人は「喜ばれる」ために生まれてきたらしいです。
 

ひとりで生きているときは「人」ですが、「人の間」に生きる人のことを「人間」といいます。
 
人の間で生き、頼まれごとをやっていく。
それが「人間」として生きる本質です。

ここで少し考えてみましょう。
 


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▼ 「努力」の反対語はなんでしょうか?
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学校教育では、その答えは「怠惰 (たいだ) 」と習い、教え込まれます。
 
ですが、
それって本質?
なのかな?
 


ひとつ高い次元から見ると、
「努力」の反対語は、「感謝」かと。
 
ここでいう「感謝」とは、「自分で自分の人生を成り立たせているわけではない。まわりの人によって生かされている。」ということに気がつくことをさします。

 
「努力」とは、自分の力しか信じないこと。
すべてのことは自分の能力、自分の力で切り抜けられると信じていることをさします。
 
一方、「感謝」は、自分の力はどこにもないということを思い知ること、思い定めること。自分の「努力」で世の中やまわりの環境が成り立っているわけではないと悟ることらしいです。


水一杯飲むことですら、私たちはひとりの力では決してやれません。
容器をつくった人がいて、飲み水を用意してくれた人がいて初めて飲めるのです。
 
もっと言えば、
水は大地からのいただきのです。
 
自分の力で成り立っているものは何ひとつないと悟ることができれば、「努力」の反対語は「感謝」だとわかります。
 
 
 
人は、うまく行ったときなど自分の努力の成果が表れたからだ!と普通思う。
 
例えば、勉強を一生懸命して、自分の希望する高校や大学に入ったとする。
 
それは、すべて自分の努力の結果があらわれた!と思う人は傲慢だ。
 
なぜなら、確かに勉強は本人がしたかもしれない。
 
しかし、その勉強を支えてくれた家族や先生がいて、友人もいる。
 
あるいは、そういう勉強する場所も必要だ。
 
もし自分が、日本ではなく、海外の貧しい国に生まれたと思ったらそれが分かる。
 
 
結局、世の中実のところ…
すべては「おかげさま」。
まわりのおかげでなりたっている。
その様に思います。
 
 
「努力」の反対語は「感謝」
この言葉は真意かと。
忘れぬよう胸に刻みたいところです。

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