あるリポーターが2人の職人に質問をした。
1人目の職人は「何をしているんですか?」と聞かれ、こう答えた。
「ただ、レンガを積み上げているんだよ。きついし、賃金は低いし、なんでこんなことをやっているのだか」
2人目の職人にも同じ質問をしました。
すると彼は「俺は世界1の幸せものだよ!」と言った。「立派な建物を造る手伝いをしているんだからねぇ!レンガを積み上げるだけで傑作が仕上がるんだ!」
2人とも正しいのです。
要は、意味付けによって物事は決まり、それ自体は何の意味も成さない。
灰皿も灰皿と意味付ければ灰皿となり、お皿と意味付ければ皿となり食卓に並ぶのです。
物事を決めているのは全て僕たちの意識です。
僕たちは自分の人生に見たいものを見るんです。
人の欠点や社会の弱点を探せば、数えきれないほど見つかる。ひどいものを探せばふんだんに見つかります。
しかしながら、その逆もまた真実で平凡の中に非凡を見出そうとすれば、訓練次第でそれもまた見いだせるのです。
2人のレンガ職人はレンガの中に大聖堂を見ている。自分にそれが何に見えるでしょうか?
この世に存在するとてつもないシンクロ二シティ(共時性)、変動していく世の中の完璧さ、自然の非凡な美しさ、人間の生命の信じがたい奇跡が自分に見えるだろうか?
全ては意識の問題です。
自分の意識です。
感謝したいこと、うやうやしく感じることは身の周りに溢れています。
人生は貴重で非凡なものです。
その事実を意識にとめれば、何の変哲もないことが新しい意味をおびてくる。
自分の意識が全てを決める。
そのように思います。
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