わたしたちには2つの生き方のスタイルがあると思う。
「もつこと(to have)」と、
「あること(to be)」
「もつこと(to have)」を選ぶと、
「わたしは持っているもので示される」生き方を選んだことになる。
つまり、
「私を知りたかったら、私の持っているものを見てください」という「私=持ち物」となる。
「あること(to be)」を選ぶとは、
自分の能力や才能、すべての人に与えられている人間的な要素を表現することを意味する。
つまり、
自分を新たにすること、成長すること、溢れ出ること、愛すること、関心をもつこと、与えることを意味する。
自我や所有物に執着したりしなくなる度合いに応じて、
「あること(to be)」が人生にあふれ出てくる。
「あること(to be)」は、
自己中心性と利己心を捨てることを要求する。
所有物を増やす、または追いかけることを捨てることは、ある人たちには強い不安を引き起こす。
所有物という松葉づえを捨ててしまえば、
自分本来の力を用いてひとりで歩き始めることができる、ということを知らない。
彼らを引き止めているのは、
1人では歩けないのだ、
もし持っているものによってささえられなければ倒れるのだ、という幻想です。
要するに、
もっと高性能で高級な松葉づえを追い求め続ける「もつこと(to have)」の人生では、
私たちは決して「自分自身」を経験することができない。
「持ち物」を経験するだけで、そこに自分はいない。
「わたしはある(to be)」という生き方は、
「ありたい」という生来の深く根ざした欲求に従う。
それは、与え・分かち合い・犠牲を払う意志です。
所有から利用へ。
お互いがお互いの強みを利用し、支え合い、補い合う。要はシェアリング。
生きるとは「自分が経験すること」を分かち合うことかと思います。
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